人には一つ二つ忘れられない出来事や想いというものがある。
そしてそのことが深い意味を持ち、道標となってくれた。
私たちの人生は、長くてもおよそ100年の限られた束の間の時間を生きている。人は生まれて、学校へ行って学び、社会で視野を広げる。その間には生き方が変化したとしても、最後は死を避けられない。出生でまたゼロからのスタートとなるが、生まれた時点での環境や社会からもたらされるものが、新しい命には与えられていると考える。だから出生によりゼロに戻っているようでも、元のゼロよりも少し先の地点でスタートを切っていることになる。そして、人生は出生に始まり死に至るまでの一つのサイクルだが、実際は先代、先々代から続く流れも入ってきており、それらも含めて生き方を作っていくと考える。
以前は病院の秘書として働いてきた。主な仕事は医局員の異動を伴う人事関係。会議の議事録作成に始まる、教室の運営。研究費も含める現金管理にかかる経理等も任された。強い責任感や信頼関係を構築するコミュニケーション能力。そして正確な事務処理能力が求められた。
社会貢献できる場として、現場で尽力される方々のお役に立ちたいと考えてきた。
昨年より支援策が実現しているが、現在は行政書士として、給付金等の申請を通して事業者のみなさまのサポートを行っている。また支部活動として、遺言・相続等の民事法務の案件を中心に、相談業務にもかかわらせていただいている。ご相談でお客様の声を通して、どのようなお困りごとがおありかを直接お伺い出来る。ご縁を大切にして、学びつつ研鑽を重ねることで、貢献していきたいと考える。
■自己決定権
その日父は、白内障の手術の予後も良いので入浴をする予定だった。ところがこれまでの疲れが出て倒れてしまい、私の勤め先の病院へ搬送した。すぐに検査をしていただいたところ、左視床部からの出血という所見だった。有難いことに便宜を図っていただき、病室があくとICUから一般病室に移り、リハビリも始まった。
ある日のこと見舞いに立ち寄ると、病室では父と医師が話し合っていた。今後の治療方針の件で、私も主治医からお話を伺った。私は、「病院では、医師や看護師の言われることに従っていただかないと困ります」と話した。父は、私の顔をじっと見ながら「患者には自己決定権があるんだ」と一言。私はその時「はっ」とした。家業を手伝う傍ら少しずつ勉強を始めていたので、言わんとすることは理解できた。「自己決定権」の表現を採用した判例は存在しないが、考え方自体は認めているとされる最高裁の判例が思い浮かんだ。
自己決定権 憲法13条「国民を個人として尊重する」ということは、個人がどのような人生を生きるかについて、自分で決定することを尊重するということ。個人が一定の私的事項(自己の生命や身体の処分、家族のありかた等)について、公権力による干渉を受けずに自ら決定することができる権利。
『エホバの証人信者輸血拒否事件』の判例では、宗教上の信念からいかなる場合にも輸血を受けることは拒否する患者に対して、医師はほかに救命手段がない事態で、輸血をする方針を説明しないで手術をしたことが問題となった。判決は、患者の輸血を伴う医療行為を拒否する意思決定をする権利を人格権の一内容として構成して、医師が説明を怠ったことで人格権が侵害されたとして、精神的苦痛に対して慰謝する責任を負うとした。患者の信念、心情を認め、価値あるものとして、自分らしく生きることを裁判所も認めたとして評価されている。
医師の取った行動は、人命救助の倫理から生じた。一方でこの患者さんには、信者としての強い信念ゆえに、命の危険が迫ろうとしても輸血を拒むという意思決定権がある。そのような覚悟を、自分で引き受けることを意味する。
■パターナリスティックな制約
父の主張が正しいのか、医学的見地に立って、看護師・薬剤師・外来医師の多様な立場の意見を伺った。それを踏まえて、主治医には起こりうる負の可能性についてもお尋ねした。「心配する気持ちも分かります。そこで、これまでされてきたお仕事や経歴を十分に加味して考えていきます。医師として裁量を行使して、今回は見合わせることで、暫く経過をみましょう」と言って下さった。立場は違っても、父の意向を伝える上で、法律の言葉が懸け橋となってくれた。どのような場面でも、思いを伝えることは大切だと思った。
成年者は、精神疾患等のために本人の判断能力が非常に限られているようなケースを除いては、判断能力がある。自己加害防止のために、国家が後見的な立場で人権制約をすることは原則として許されない。
一方で、『人権とパターナリスティックな制約』というタイトルで「法律論としては、成年者の自己加害に対して国家が公権力として介入することは原則として許されない。しかし未成年者は、成年者とは異なる人権制限を受けることがある」という記載があった。
未成年者も当然に人権があるが、心身ともに発達の段階にあり、判断も未熟なため、成年者とは異なる扱いを受け、制限をうけることがある。親が子を保護する目的で子に「こんなことをしたら、あなたのためにはならないよ」と干渉するように、国が私人の行動に干渉することをパターナリズムという。「パターナリスティックな人権制約」とは、未熟な判断で未成年者自身に害悪が及ぶおそれのある行動(自己加害)に限定して、未成年者の健全な成長のために必要最小限度の措置であれば、保護を目的として制約を行うことも許されるとしている。
これとは別に、リバタリアン・パターナリズムという学派の議論がある。他人に危害を加えない限りは自己の判断で何をやってもよいという「危害原理」や、自由を最も尊重する「リバタリアニズム」は、結果が悪いものでも本人の決定ならばそれでよいというものである。それを、個人に自由な選択をさせながら、当人にとって利益を保護することも可能にしようという主張が、リバタリアン・パターナリズムである。その選択も、状況や環境により左右されるという特徴がある。
■人権制約
憲法では自然権としての人権保障をしており、人権は不可侵として価値あるものとしつつも、無制限に認められるものではない。
(出典:TAC、LEC、伊藤塾、辰巳法律研究所「行政書士講座」、伊藤塾「司法書士講座」、山本浩司著『なるほど憲法』等)。
- パターナリスティックな制約(自己加害防止)→未成年者
- 「公共の福祉」による制約(他者加害防止)→一般的な制約根拠
私たちはそれぞれに人権を持つが、各々の人権が矛盾・衝突したときに調整をする公平の原理。
この「公共の福祉」の意味については三説(Ⅰ一元的外在制約説、Ⅱ内在・外在二元的制約説、Ⅲ一元的内在制約説)に分かれる。
Ⅰ一元的外在制約説では、無限定な制約を許容すると、法律の留保のついた人権保障と変わらなくなってしまう。
Ⅱ内在・外在二元的制約説では、13条を単なる倫理規定としてしまうと、新しい人権の根拠がなくなってしまう。
そこでⅠ説とⅡ説の問題点を克服するためにⅢ説が提唱された。
Ⅲ一元的内在制約説:「公共の福祉」は、人権相互の矛盾衝突を調整するための実質的公平の原理であり、すべての人権に必然的に内在している。同説では、自由権を各人に公平に保障するために必要最小限度の制約のみを認める“自由国家的公共の福祉”と、社会権を保障するために経済的自由権に加える必要な限度の制約である“社会国家的公共の福祉”に区別する。
現在は同説を基礎として、「公共の福祉」が人権の一般制約原理となることを認めつつ、具体的な人権制限については、各人権の種類や性質などの個々の状況を検討して判断すべきとする考え方が通説である。
父は、自ら検査結果も医師に直接尋ねて確認していた。私も病室での教授回診に参加して、症状や治療の状況等お聴きしたことを、貴重なものとして記録した。改めて読み返すと、当時の状況が、昨日のことのように蘇ってきた。懸命に生き抜こうとした人間の姿が浮かびあがってきた。それは、生き抜くことのかけがえのなさを、生涯を通して教えてくれた。
ある方が、「命とは君達が持っている時間そのもの。寿命という大きな空間に一瞬一瞬をどう入れていくかが私達の仕事」と書いておられた。
■遺言
遺品の整理をしていたある日のこと、何気ない四角の箱から白い一通の封筒が出てきた。表には大きな字で『遺言書在中』とあり、裏面には「この封書は、開封しないで、東京家庭裁判所家事部受付係に提出すること」、さらに7年以上も前の日付と氏名があった。
母は父に遺言書を書くことをしきりと勧めていた。そのたびに父は「書かない」と言ったが、誰にも気付かれずに書いていた。私はその当時は、書かないという選択肢もあるのだろう位にしか考えていなかったが、父なりに準備をしていたのだ。無いと思っていた私はびっくりしたが、妹と共に検認を受けた。開封されて検認済の印を受けた遺言書には、“遺言外”として付言事項があった。そこには内容を決めた理由が記されていた。
付言事項は遺言をする方の最期の気持ちを伝える言葉。
言葉は時間を経て到達するが、気持ちも届くかは定かではない。自ら意識の深い部分に降りて行かないと表面の部分しか届かない。
それでもある時を境に伝わるのは、未来へ託した思いの熱量によると思われる。そうした気持ちに気付けたことが、新しい道を目指す力となった。
応援もいただいて、頑張って歩き続けることができた。これからも研鑽を重ねつつ歩み続けたいと考える。
■謝意
試験勉強を続ける中で、何をしたいのか、という問いかけをいただき、そのことがきっかけとなりました。
内側にある答えを求めて熟考する中で、岐路に立っていることに気付きました。
そこで、今の自分にできることに取り組んでいこうと思いました。そのようなきっかけをいただき、有難いことと思っております。心から感謝申し上げます。
新しい世界へ飛び込むことは勇気がいりますが、未来を切り開こうという気持ちになり、一歩を踏み出すことが出来ました。たとえ初めてのことでも、「できる」と信じて取り組まないと経験は得られません。
初めての事案も方法を教えていただくことで、次につながりました。有難いことと、心より感謝申し上げます。
環境の変化により難しいと思えることでも、協力し合うことで、可能とすることができました。チームワークの力の強さを実感しました。
様々な出会いを通して世界が広がり、道が拓けてまいりました。そうしたご尽力をいただきまして、大変有難いことと、心より感謝申し上げます。
研鑽を重ねつつ、地域に貢献ができますよう精進してまいります。
これからも、どうぞ宜しくご指導を賜りますようお願い申し上げます。